がアルケイディアへ来てから、二週間という時が過ぎた。
何度も繰り返す後、ヴェインとの茶の時間はの日課になりつつあった。
…生かされているとはいえ、自由ではないので にはそれしかすることがないわけなのだが。
部屋に夕日が差し込む頃。紅茶と菓子を楽しむ時間にしては少々遅い時間だが、
その時間帯になると、ガブラスはをヴェインと部屋へと連れてくる。
中にヴェインの姿があってもなくても、一人掛けるには大きい椅子にを座らせたら
ガブラスはさっさと部屋を出て行った。
―――ヴェインはをとても気に入っていた。
ヴェインはと話す度 心が満たされていくのを感じていた。
ソリドールの剣としてでも、帝国の指揮者としてでもなく、ただ一人の人間として。
一人の人間として他愛もなく話してくれることが、ヴェインには幸せでならなかった。
一方で、ガブラスはを嫌っていた。
否、嫌っていたと言えば少々語弊があるかもしれない。
ガブラスはと話すのを避けていた。苦手でもあった。
と話す度、のまっすぐな瞳を見る度、自分の心の中を全て見透かされているような感覚だった。
ガブラスはその感覚が酷く不快でならなかったのだ。
「ガブラスは相変わらず、貴女をここへ一人置き去りにするのですね。何のための護衛なのやら。」
「彼は私を嫌っているようですから。仕方がありません。」
「女性に対し無礼な態度をとって申し訳ない。私が変わってお詫びしよう。嫌な男でしょう。」
「いいえ、とんでもないです。気難しい方ではありますが…悪い方ではありませんもの。」
ふふふっ、と笑うに 珍しくヴェインはつられて笑わなかった。
どうしたものかと、はヴェインの表情をただ伺った。眉間に皺を寄せ、憎悪に満ちた瞳。
「…ラーサーの護衛をガブラスに任せようと思うのですがね。奴は信用ならないのですよ。」
「そんなこと…。」
ありませんよ、と言いかけたを遮るように ヴェインは
「あなたは知らないでしょうがね」と短く言い捨てた。今まで聞いたことのない冷たい声に
さすがのも押し黙ってしまう。
「気に入らないのですよ。」
「割りきった振りをしていながら 故郷にも双子の兄にも執着しているところがね。」
自分の意思など関係なく、それも父親から兄の暗殺を命じられ実行したヴェインにとっては
それは許しがたいことであった。
故郷を忘れることもできず、かといってラーサーに忠誠を誓うこともできず、
どちらにも向かえない苛立ちに気づかぬふりをして 半ばバッシュに対し逆恨みをしているその行動が。
「でも…」
「興味深い話をしてさしあげましょうか。」
「ドレイスという一人のジャッジマスターの話を―――。」
25
次の日。
長い廊下を歩く二人に、会話はなかった。聞こえるのは不揃いな足音だけ。
今日も今日とて、をヴェインの部屋へと連れて行くわけだが いつもなら「黙れ」と釘を刺しても
ひとり楽しそうに話をするが、今日はちっとも喋りやしない。
そんなことを気にも止める様子もなく、黙々とガブラスは前を歩いて行く。
「…ガブラスさん。」
「気安く呼ぶな。」
「……どうしてそんなに冷たいんです?」
足音がとまったの方に、よくやく視線を向ける。
表情は伺えない。地面を凝視するかのように、俯いているから。
「冷たい?ふざけるな。バッシュの仲間と慣れ親しむつもりは最初からない。」
「…何か答えるといえばいつもそれですね。バッシュ、バッシュって。」
「…何が言いたい。」
俯いていた視線が、ガブラスの瞳を射抜くように見つめる。
怒りでも、憐れみでもなく、ただただ強い視線で。
「本当に憎んでいるなら、名前を口にするのも嫌なはずだと言いたいんです。」
「……………………。」
「あなた、本当はバッシュが羨ましいんじゃないですか?バッシュのようになりたい、でもなれない。だから――。」
「黙れ!!」
の胸倉をつかむと、思いっきり壁へと押しつけた。
壁が激しい音を立てる。相当な力で押しつけた。背中だって、肩だって痛いはずだ。
それでもの目は、相変わらず強い視線を放ったままでいる。
「…ドレイスさんという方の話を聞きました。彼女が、最期にあなたに言い残した言葉も。」
ガブラスの脳裏に、あの日の光景が鮮明に蘇る。
血のように真っ赤な夕日、抱きとめたドレイスの体の温もり、握った剣の重み。
あの瞬間、ドレイスは腕の中で生きていた。そして腕の中で息絶えた。この手で、奪った。
「何を迷っているのですか?自分の命かわいさに彼女を殺したのではないと言うなら…。
精一杯ラーサー様を護ればいい。違いますか?」
「…黙れ。」
「彼女はあなたをここまで苦しませるつもりで、言い残したはずじゃありません!」
「黙れ!!」
キン、と鉄が甲高い音を出した。
鋭い剣の切っ先がの喉に向けられる。首の一部が熱い。薄く皮が切れたのかもしれない。
「これ以上口を開いてみろ。今度こそお前を殺す。」
「……いいえ。」
「あなたに私は殺せません。」
本気で、殺すつもりだった。それは自分の意思とは関係なく、があと何か一言でも言えば
手が勝手にその細い首を切り裂いてしまいそうな気がしていたからだ。
「自信だってあります。あなたは私を殺さない。」
いつの間にか、自分を見つめるの瞳は とても穏やかだった。
小さい頃見た 愛おしそうに顔を眺める母親の瞳にそれはよく似ていた。
「だってあなたの手、こんなにもあったかいんですもの。」
胸倉を掴む手を、まるで包み込むようにの温かい手が触れる。
でもそれ以上に自分の手は思っている以上に熱を持っていた。
「なのに、あなたの目はいつ見ても…とても、悲しそうですよ。」
「…………っ。」
「…憎しみからは何も生まれません。誰かに対してだけじゃなく、自分自身に対しても。」
「あなたはあなたです。だからもっと、自分を許してあげてください。誰もあなたを責めたりしない。」
闇の中で、愛を唄うやつは誰だ。
「私、バッシュの双子の弟として話してないんです。ガブラスさんと、ちゃんとお話がしたいから。」
「………………。」
「ほんの少しだけでもいい。バッシュの仲間としてではなく…私と、話をしてくれませんか?」
はそれ以上何も言わなかった。
ガブラスもガブラスで何も言葉を発することなく、静かに剣を鞘へと戻した。
胸倉を掴んでいたガブラスの手が、一筋の鮮血が流れるの首へと触れる。
一瞬チクリとした痛みがあったが、淡い光とともに傷そのものがなくなった。
「えっ、傷…治してく」
「予定の時間に遅れる。さっさと歩け…置いてくぞ。」
再び足音だけが廊下に木霊した。
ヴェインの部屋の、大きな扉の前でガブラスの足は止まった。
いつもならさっさと中へ入っていくというのに。
「あの、どうかし―――。」
「…今日でようやく、お前の子守りから解放される。」
「えっ?」
「せいぜい、好き勝手歩き回って殺されないよう注意するんだな。」
そう言うとガブラスは、再び長い廊下を戻り始め去っていく。
「え、あの!ガブラスさん!」
「………ノアだ。」
小さくそう返してから、ガブラスはもう振り返ることはなかった。
はひとり部屋へと入り、ふぅっと息を吐いてソファへと腰かけた。
もしかして、
「…………名前、かな。」
「オキューリアの力を感じる少女とは…あの娘のことかね、ヴェーネス。」
『―――そうだシド。瀕死のところだったが…君が気に入ると思って連れ帰ってきた。』
「あぁ、実に興味深いとも…。」
「―――――さっそく検査の準備をしようではないか。」
***
次に誰が登場か分かったところで終了。
前の更新から時間が経ちすぎて話のあらすじを忘れてしまいそうでした。
やっとガブラス編終了ー!ヒロインの護衛を終えたあと、ラーサーの護衛を任されたってことで。
次回はヒロイン、さすがに愛を振りまきません(!)
20080716